自分に対しての諦め

まずは自分に対して諦めを。

何がすごい事が出来るとか、能力があるとかそんな期待を手放すこと。自分が何者でもない事を受け入れて、自分はこんなものと理解しよう。

 

大した事の無い自分、すごくない自分の存在を認めよう。変な期待とかしなくなると、自己否定も無くなってくる。

 

「ああ、自分はこんなものだ、決してすごくはない。」

 

腹の底からこう思えると、とっても楽になるよ。自己肯定ってこんな所から生まれてくるんじゃないかな。

「能力が高くなきゃ、もっと頑張らなくては、これじゃあダメだ」とか自分を苦しめるものを手放せるようになって、自分を責めたり否定したりすることもなくなる。

 

自分はこんなものだった、小さなものだった、決して立派なものでもなかった。それでも良いんだ。こんな考え方が自分の存在を大切にしているという事。立派じゃなきゃ、すごく無きゃダメというのでは、自分に対する要求があまりにきついと思う。

 

誰かが、自分に対して、〜しろ、〜持ってこい、とかいって無茶な要求ばかりしてきて、それに応え続けなくちゃいけないなんて言われたら辛いのは当たり前。自分で自分にそれをやっていても辛くなるの当然。

 

「居るだけで良い」というのが最高に自分を大切にしている状態だと思う。なにも求めてこないというのは、価値を感じられているから。何か求めてくるというのは、すごくないと、立派じゃないと価値がないと言っている様なもの。立派、すごい、がないと価値を感じられていない状態。

 

何かと引き換えに価値を感じようとせず。居る時点でもう価値はある。自分に何も無くてもそれで良い。

自分は今ここから

今ここから自分の出来る範囲の事を始めてみる。自分なりに、小さなことでも良いからやる。小さな事を繰り返していく事で自分に変化が起こせる。

 

で、そうなるためにどうするか。

 

前も書いたけど、今の自分を受け入れましょう。「自分はこういう人間なんだ」と。決して立派でもないし優れてもいなかったけど、それはそれでしかたない。良い悪いの判断をせず、ただ単に今の自分を認める事が大切。適度に諦めがついてこんなもんだけどまあいいかと自分の中に落としこめるようになる。

 

そして落ち着いた所で、そんな自分がこれからどう生きるかを考える。そうするとやる事は決まってくる。目の前の事を一つ一つ丁寧に片付ける事だ。小さな事、今出来る事、それに専念する。

 

または、今出来る事を見つけてみる。いけないと分かっていながらダラダラ寝ているようなら、少し早起きできるように習慣を改めるとか。

 

そうやって一つ帰るとまた一つ変わってくると思う。早く起きるようになったら、時間に余裕ができて出掛けけるようになるとか。そんな風に連動して変わってくると思う。

 

やっぱりいきなり大きい事は出来ないので小さく何か始めるしかない。小さく始めた何かは継続がしやすい。とても簡単だから毎日出来るのだ。

 

1行でもいいからブログを書くとか。ノートに文章を書くとかそんな事からでも良い。続いたという事が自身にも繋がる。続けた結果をあとで見返してみると小さな事でも結構な量の積み重ねになっているのだ。

 

何かをやるのであれば、小さくそして継続をする。ここから始めて見よう。

逃げたり、隠れたり。

逃げたり隠れたりするのは、何かしら不安があるから。

 

その不安と向き合いたくないから、逃げる、隠れるなどの抵抗をしてしまうのだ。

 

でも不安てものすごく漠然としていてよく分からないものなのも事実。「それ」と向き合うと、もしくは「それ」に手をつけるとどうなってしまうのか。自分がどんな目に遭うのか。など、いろいろと細かく明確にしていこうとするとなかなか出来ない。不安は元々不明確なものから発生しているから。はっきりとした形で表れる不安てまず無いのだと思う。

 

よく分からないものに対する感情として生まれるのが不安。

 

○○をすると●●が起こるから気をつけて。と、言われれば対処のしようもあるけど、

 

××をすると、多分あなたの周りで何かが起こるかもしれないよ。きっと。

なんて言い方されたら嫌だよね。周りってどの辺?何かって何さ?「きっと」とか言われても起こるのか起こらないのかが分からないし。「多分」とかあまりにもあやふやで困る。

 

やっぱり、よく分からないって言うのが人間には一番不安を与える事なんだろうね。

 

だからいろいろ具体的にしてみよう。

何か慣れない事をやらなくては生けない時には、まず、これを●●する。次にあれを○○する。とかね、そうやって具体的に手順を定めていくと不安も軽減してくるのだろう。

 

小さく、小さく始めて行けば進める事も出来るし、疲れて心が折れる様な事にもなりにくいだろう。

 

不安なことに向き合うには、小さく、やる事を具体的にしてから進める。これが安全で確実なんだろうね。

自分を認めることで力を抜く事が出来る。

前に、自分を認めてしまおうって書いた。「これではいけない。もっと頑張らなくては。」とか考える前に、自分は今はこうなんだ。こういう状態なんだという事を否定しないで認めよう。

 

例えば、「働きたくない、やる気が無い。」に対して、「これではダメだ、頑張らないと、やる気を出さないと」とかいって自分を責めるよりは、一旦これを認める事。

 

「そうだ、働きたくないんだ。そうだよ。やる気なんて無いよ。俺はこういう人間なんだ。」と言った具合に、自分の本音を無視しないで、存在をきちんと認識する。

 

「働きたくない、やる気なんて無い。偉くなんてなりたくない。」だって楽したいもん。

 

そう思っているならそれで良いじゃない。そうだよこれがあんたの本音だよ。そう感じたならそれで良いんだよ。

 

実際にどういう行動をとるかは別問題としても、きちんと自分の本音を捉えておく事が大切。こう思えてきちんと本音が認められたら働きたくなくても、やる気が無くても多少は力を抜いて仕方なくでも働く事は出来ると思う。

 

内面と行動が違っていてもいい。きちんを自分を認めれば、表向きだけでも本音と違った行動がとりやすくなる。外見上は何の問題も無く働いているように見えるが、内面では正反対の感情を持って、仕方なしに働いているのだ。

 

自分を認めるだけで結構力が抜ける。これが自分の本音、自分はこんな風に思っている。そうだこれが自分なんだ。自分の本音はこれで良い。認めよう。堂々と認めよう。何の否定の気持ちは要らない。自分の感じている事に自信を持ってしまおう。

 

外に出したり、言ったりしないまでも、明確に自分の本音を認識しておいた方が良い。

 

 

 

 

自分の内面を出す場所を作る。

思いっきり、好きなだけ自分の本音を出せる場所を作ろう。

 

喋るでも書くでも、方法は何でもいいからとにかく遠慮せずに自分の内面を好き放題ぶちまけられる場所を作ろう。そこだけでは絶対的に自分が自由になれるという無敵の空間を持とう。

 

そんな場所そうそうないよという方も多いかと思います。まずは書く事から始めて見てはいかがでしょうか。文章で書くでも、図でも絵でも何でも良いからまずは書き出す。一旦自分の思考を表に出そう。

 

自分の本音をきちんと形にしてその存在をきちんと認識しよう。何となく頭の中だけにとどめておかないで、はっきりと形にして表に出してしまおう。繰り返していく事で、自分の中に埋まっていた内面がどんどん出せるようになっていく。

 

出していく事で自分に気が付いたり、気持ちがスッキリとしたり、自分で手を動かす事でしか得られないものがある。

 

ただ書くだけでも、内面に変化が起こせる事だってあるのだ。やってみると分かるけど自分の気持ちを書くのって慣れないうちは少し苦労する。日頃やっていないことはなかなか思うように出来ないもの。

 

でも継続していく事で、徐々に気持ちを表現する力がついてくる。そうすると、ただ書いているだけででもどことなく楽しくなってくる。ついついやってしまう。書くために時間を作ったり書くために出掛けたりするようになる。

 

それだけ自分の気持ちを素直に書くという行為は楽しいという事。好き放題、誰に遠慮する事も無く自分を表現できるのだからこんなにのびのびとした行為って普段なかなか出来ない。

 

思い切り、やりたいように、ストレートに自分の気持ちを書いてみよう。せめて、紙の上くらいは自分を偽らなくてもいい。

ダメな自分を一旦認める

あなたが感じた事は、正しい。

 

だから、

 

それを認めて。その気持ちをきちんと認めて否定をしないこと。

 

「働きたくない、やる気がない。」そう思うなら、それがあなたの本音。だからそれを否定しない事。

 

「こんなのではダメだ、もっと頑張らなきゃダメだ。やる気を出さなきゃダメだ。」とか言って、自分の気持ちを否定すると余計辛く、苦しくなってしまう。

 

ここは思い切って、「そうなんだよなあ、働きたくないんだよな。やる気がないんだよなあ。」って認めてしまう。

 

そんなふうに自分の本音を認めてしまうと、力も抜けてなんか少しは楽になるよ。

働きたくないと思って良い。やる気がなくても良い。とか自分に許可を出せるようになると自己嫌悪とか、自己否定とか無くなってくる。

 

〜しても(しなくても)良いってものすごく力のある言葉。

何でも良いから自分に許可を出してみよう。思いつくままに「〜」の部分に自分の当てはまりそうな事を入れて、たくさん文を作ってみよう。

 

思いつくままに集中して書き出してみて。出なくなるまでやってみるといいよ。たくさん自分に許可を出してどんどん自分を肯定していこう。少しずつ自分を良い存在であると思えてくるよ。

 

自分の感じた事って、その時にどう感じようが正しい。それをどう否定しようと頑張っても否定し切れない。否定しようとすればするほどにその気持はどんどん存在を増してくる。自身の存在を認めさせようとしてくるのだ。

 

そこで、一旦は自分の気持ちをきちんと認める。今、どう感じていようが認める。すんなりと受け入れてしまうとそのとたんに、存在を増し続けてきた自分の気持ちが大人しくなる。

 

まずは一旦認めてしまいましょう。

気軽に取り入れる。

〜するといいよ。

〜が面白いよ。

〜をやってみて。

 

日々、いろんな人が、いろんな事を勧めている。

 

これらの言葉に対して抱く印象はひとそれぞれ。でもたいていの場合は「そんなことしたって何も変わらないよ。」という否定的なもの。

 

とても簡単の事であったりすると「そんな事が一体何になるんだ。無駄だよ。」という自分なりの見解をもって信用される事は少ないだろう。

 

でもここで疑わずにやってみる。「あっそうなんだ。じゃあやってみよう。」と、時にはこれくらい気軽に人の意見を採用してみる。疑いもせずにあっさりと信用する。

 

自分の中だけ生まれるの考えで行動しても、やはり限界があってときには自分の中にない考えを取り入れてみる事で自分の活動に幅が広がる。

 

普段使わない筋肉を使った様な刺激となって自分に効いてくる。

 

1つ、そんな風に動く事が出来るともう1つ、もう2つと、どんどん人から行動を取り入れたり、学んだりできるようになる。

 

変に自分のやり方ばかりにこだわっていると、決まりきった事しかやらなくなってきて変化に乏しくなってくる。ほとんど何も変わらなくなってしまう事だってあるはず。

 

人のやり方を知るや否やあっさりと、なびいてしまうというのも間違った事ではない。もちろん全部人任せにするのは良くないが、「へえ、こんなやり方もあるんだ。」と興味を持ったのであればそれにあやかってみるのも一つの手。

 

様々なアイディアはいろんな影響を受けて生まれてくる。完全に独立して生まれてくるものなんでまず無いらしい。

 

積極的に外からいろいろ吸収しよう。