一人になる時間をつくろう。

いつも誰かと居ると疲れてしまう。人と話をする事になったりすると、無理矢理、頑張って話をしているけど内心は早く一人になりたいとか思ってしまう。

 

世間一般では、一人で居るのは寂しいとか、良くないとか暗いとかそんな意見が多いけど必ずしもみんながそんな風に感じている訳ではない。一人になる事を望んでいる人だって案外多いのだ。

 

誰かと一緒に居る事で不都合を感じたり、身動きが撮りにくくなると感じる人だっているのだ。子供の頃は多くの場面でみんなで一緒に、仲良くとかそんな風に教えられるけど、それだって一方的にそう教えられているだけで本当は一人で静かに、または自由にしていたい子供だっているはず。

特に、みんなで一緒にというのは大人の側、大勢の子供をまとめて楽に扱いたいという都合もあるのかもしれない。

 

こんな所から、一人で過ごしたい子供は、自分が間違っているのではないか、おかしいのではないかなどと自分を責めてしまうかもしれない。

なんとかしてみんなと仲良くしなくては、頑張らなくてはとか考えて自分を押し殺す原因いもなりうるのだ。このくらいの事は小さな子供でも考える。自分を押し殺すというのは案外小さな頃からやろうとするものなのだ。

 

子供じゃなくても、無理矢理誰かと仲良くなろうと一緒に居ようとしている人たちは居るのだろう。もっと堂々と誰でも一人になれる世の中になっていった方がいい。徐々にそれも受け入れられるようになってきた。

 

誰かと一緒に居続けるだけでは自分というものは見えてこない。自分を見ずに周囲の人たちばかりを見続ける事になるからだ。一人になってこそじっくりと自分に向き合えて、少しずつ自分の知る事ができる。

 

そうする事で自分という軸が出来上がり、これが、世間一般の当たり前とか常識が無くなりつつある世の中で役に立つと思う。自分の軸を持っているからこそそれに頼る事が出来て、ぶれること無く生ていけると思う。

自分でも何か表現してみよう

誰かのブログを見たり、ツイッターを見たりしているととても面白い事を書いていたり、興味深いツイートが見るける事がある。

 

それを見ているうちに、見ているだけじゃなくて自分もこんな風に何か書いてみたいと思う人も居るはず。でもなかなかこんな風に面白く書けないという思いもでてくると思う。

 

ネットを通じて何かを表現してみたい、表に出してみたい。そうは思っていながらも良いものが書けない、書いては良いけどまだそこまでの完成度ではないから公開していないと言った状態のまま何も出来ずに居るなんて人も見るみたい。

 

でも思い切ってどんどん出そう公開しよう。好きなことを書いて、ブログ、ツイッターにたくさん載せよう。自分で大した事ないと思っていた事でも、他の人から見たらとても面白いとか、とても参考になったとか喜ばれる事だってある。

 

人に喜ばれるかもしれない事をせっかく持っているのに、自分だけのモノにしておくのは非常にもったいない。世の中何がウケるか分からないもので、軽い気持ちで書いたものが非常に人の心を突き動かすなんて事だってあるのだ。

 

人の目が気になって自分の書いた物を人に見せのは抵抗があるかもしれないけど、ブログ、ツイッターっていざ公開してもそこまで大きな反応はすぐには得えられない。

 

地道にいろんな事を書いて、公開するネタを増やしてく事で人の目につきやすくなる。一つ何か書いて反応がないからと言ってそこで止めてはもったいない。自分の公開しているネタ数が多い方が人の目につきやすくなる確率も上がる。

 

何か書いてそれを公開する事に抵抗感が無くなれば、どんどんいろんな事が書ける。この壁は一見高いようでそんなに高くない。

 

勇気を出して、一度何か書いてネットで公開してみよう。そんなに不安を持たなくても大丈夫。ちょっと肩すかしになるくらいあっさりとしたものだから。試しにやってみて。

我を忘れて書いてしまう。

ブログに限らず、文章を書いている時の自分の状態を振り返ってみると、夢中になっている事に気が付く。

 

書いている最中は全く意識できていないけど、書き終わった後にふとその時の自分の事を振り返って見ると、一心不乱に書く事に集中しているのがよく分かる。本当に他には何も考えていない。

 

この時ばかりは、何の感情の揺れも無いし、自分の頭の中にある事をひたすらに文字にしているだけ。吸い込まれるように自分の書いている文字を見続けている。

 

本当に一心不乱になっている時って、「自分は今一心不乱に文字を書いているんだ、集中しているんだ」なんて感じる事は無い。それすら自覚できない状態にある。その事以外には何も見えても、感じても居ないのだ。

 

だから、こういったのめり込んでいる状態というのは、後から振り返ってみて初めて、楽しいと分かるもの、没頭できると感じられるもの。

 

本当に楽しくやっていたら、楽しいなんて感じていない。きっと、黙ってひたすらにやり続けているはず。いつまでも手を止めずに、誰に何を言われようとも自分がやりたくてやっていることを追求し続ける。

体が勝手に動いてどんどんと行動に出るだろう。好きであればそのくらいの事は当たり前にできるはず。忙しいとか、時間がとかそんな何の問題にもならないだろう。

 

こんな事は何かを好きになればなんて事の無い問題なのだ。それくらい人間の精神的な力は強力。なんだって押し進める事が出来てしまう。

 

そういったことが一つでもあればこれから生ていくためには心強い。なにしろ、何でもありの世の中になりつつあり、みんなと同じことをやろうとしても、その、「みんな」という存在自体がもはや無いに等しい。絶対的な基準というものが徐々に無くなってきている。

 

自分が何をしていくかは自分で決めなければならない。きっと、これからの世の中はそうなる。 

言葉に出して形にする

うっすらとでも、自分はいつもこんな事をしているなあとか、こういう時こうするよなあとなどと自分の傾向やパターンの存在を感じているのなら、そのままにしないできちんと言葉に出して明確にしよう。

 

明確にする事によってうっすらしか認識していなかったものが、きちんと存在感を持つことが出来る。そうする事で自分自身の事がきちんと認識できる。こんな事が自分を知るきっかけになる。

 

頭の中にある事って、言葉になって存在しているのではなく、感覚や概念となって存在している。分かっているつもりでも、あえて言葉に出してみよう。そうすると、

「あっ、こんな事考えていたのか。」と、自分の感じていた事を頭の中に置いたままにしていた時とは違った印象を持つ事だってある。

 

書く事に慣れていないと、言葉にする事だけでも結構大変。でも意識的に出し続けていく事でどんどんと言葉に出せるようになる。

 

徐々に実感するけど、きちんと言葉に出すって結構難しい。慣れないうちはきちんと言葉に出しているつもりでも、かなりいろんな事を省略したり、切り落としたりしている事が多い。

 

必要な情報をきちんを取りこぼし無く言葉にするにはやっぱり慣れが必要だと思う。言葉を生み出すというよりも、足下にある言葉を一つ一つ丁寧に拾い上げる様な感覚で情報を文字に起こしていく様なつもりでやるといい。

 

自分が分かっている事って、それ故にあまり丁寧には表現をしなくなりがち。だからこと意識的に丁寧に言葉に出していく。人に何かを伝えるとなると自分が分かっていても、情報を省略したり、切り落としたりしたら相手には伝わらない。分かり切っている事とわざわざ言葉にするなんてめんどくさいと感じてしまうのは当然。

 

そうはいっても、そうやって言葉にしていく事で、表現の幅が広がるし、端的で詳細な

言葉の使い方も出来るはず。 

 

書く楽しさ、書く喜び

好きなようにどんどん、自由に書こう。好きな事でも、気に入らない事でもずっと頭の中に引っかかっている事でも何でも。

 

書きたいように自分の言葉で書けば良い。そうやって自分の内面を言葉にしていく事で、それだけで何だか楽しくなる。はっきりした強烈な楽しさではないけど、なんだか書きたくなる、ついつい習慣的にやりたくなるといった感覚に陥る。病み付きになるというのも変だが継続して書きたいという思いに駆られる。

 

ノートに手書きで、落書き感覚でも良いから書いてみよう。

 

書く習慣が付くと、書いている間はそこまでの楽しさを感じていないのに、時間が空いたり、暇ができると体が勝手にノートを取り出して何か書こうとペンを持つするなんて事になる。

 

書く事が習慣になると、どんどんいろんな事が自分の中から言葉になって出す事ができるようになってくる。ノートに書いていて、短時間のうちに自分でも沢山書いたという自覚が無いくらいにあっさりと多量の文字数の文章を書いていて「いつの間にかこんなに書いている」なんて後になって気が付いたりもする。

 

何も遠慮する事は無いので自由に自分の内面に漂っている事を書こう。ノートであれば人に見せる事も無く書けるので、おすすめ。

 

手で書く事によって気軽に、手軽に書ける。キーボードに向かうよりは力まずにリラックスして取り組めるので自分の内面を表に出しやすい。

 

書く事を繰り返していくと、何度も書いたり、頭の中に浮かんだりすることがあると気が付いたり、自分の考え事のパターンが見えたり、得られる事も多い。

 

まずは自由に書き出す、そして習慣化する。そんな所から始めてみると良い。

ブログを書きたくても抵抗感があるあなたへ

ブログに書いた文章を人に見られる事に対して抵抗感があるという人が結構居るみたい。

 

自分の書いた文章を知らない人に見られたくない。

書いたは良いけど、あまりできが良くないからと修正しては下書きに保存しての繰り返しでなかなか公開できないとか。

 

ブログを普段書かない方が、いざ書いてみても自分の書いた物を公開することには大きな壁を感じるみたい。

 

でも、ここを乗り越えてしまえばブログを書いて更新を続けることが出来るようになる。これが最初のハードルかもしれない。公開する事には勇気がいるかもしれないけどいざ一つ記事を公開することでこの壁、抵抗はぐっと小さくなる。本当に小さく、小さくなる。

 

自分で体験するしか無いけど、いざ自分の文章を公開してみるとものすごくあっさりしたものである事がよく分かる。「えっ、こんなもんなの?」「こんなに大した事無いの?」と言ってしまいたくなる。今までの抵抗感は何だったのかと思うくらい。

 

もう本当に誰も見てないんですよブログって。びっくりするぐらい見てない。そしてブログを公開しても何の反応もない日が、何日も何日も続く。本当に反応がない、本当に誰も見てない。抵抗感を持っていた事が恥ずかしくなるくらい。

 

誰かが自分のブログを見るんだという前提があるからこその抵抗感。そんな前提を持っている事が何だか恥ずかしくなるよ。どんだけ自分が注目されていると思っているのか。

 

嫌な言い方になってしまったけど、本当に自分のブログを見てくれる人は少ないので心置きなく好きなように何でも書いてみると良い。好き勝手書けるの言うのが一番楽しいと思う。子供が夢中になって絵を書き続けるかのように思い切り、何の制約も付けずに書く。これがとても楽しい。

適当な落書きからはじめる

毎日文章を書いていてこれが習慣になって当たり前の作業になってくるとだんだんと書くと言う行為が自分に対して強い刺激では無くなってくる。

 

慣れてきたせいか、あまりこれと言った変化の無いまま書く事を継続してしまっている。書く事を始めたばかりの頃は、あれこれと悩みながら、頭を抱えて言葉を文字に起こしていった事を良く覚えている。

でも今となっては、書こうと思えばそこまで苦労する事無く書けるようになってしまっている。書く事に慣れてあまり手応えのある作業にはならなくなってしまったのだ。

 

日々繰り返してる事って当たり前のように出来るので、何の苦労もなくすぐに始められてすぐに終える事が出来てしまう。生活の一部となってそのウエイトも小さくなってくる。

 

書く事になれてきたのであれば、もう少し違う事もしてみる。今まで文字ばかり書いてきたので、今日は試しに絵を描いてみた。絵と言ってもノートの端っこの方に適当に目の前にあった建物を見ながら描いただけ。

 

でも何とも言えない手応えがあった。普段の、文章を書いている時とは違った頭の働きをする感覚がはっきりと感じられたのだ。

 

何とも言えない、頭のぼんやりとした感覚。そして何かを考えている時とは違った状態で非常に脱力した感覚があった。個人差はあるかもしれないが、絵なんて描く習慣が無かったためになれない事をしたらとても良い刺激になったのだ。

 

ノートの端っこの描いたちょっとした落書きでも、とても強く自分の中に刺激を与える事となった。ガンガン落書きをしたらもっと大きく自分の中に作用する事だろうと思う。

 

絵も文章も両方書くとバランス良く頭を使う事になるのかもしれない。落書きも実はかなり頭には良い刺激になるのだ。こんな事でもいいからまずは試してみよう。そして自分の頭を刺激してみよう。