2019年3月11日の記事について。その2

この記事を書いた後のこと。 

abukunoshikou.hatenablog.com

 

「アクセスが欲しい、欲しい。おれのブログ見て、見て」って記事を書いた後、はてなブックマークなどの機能の働きで、多くの人の目にこのブログが留まることに。そして本当にアクセスがたくさんあった。びっくりするくらい。

 

こんなものを書いて、少し時間を置いてみるとやっぱり何だか恥ずかしい。時間を置けば置くほどジワジワと恥ずかしくなってくる。なんてこと書いたんだろうって。

 

それからもう一つ、後から思う事を。

ものすごくストレートに、自分の要求を書いた事から来る清々しさの様なものを感じる。ここまで堂々と、何かを外部に伝えた事ってほとんどないと思う。

ただ、何かを分かりやすく、はっきりと言葉で伝えるのってちょっと楽しい。自分の内面を思い切り出すのってなんか怖さと面白さが混ざった妙な感覚を持つ。またやりたい。

 

自分の内面剥き出しの記事を書いてみる事をお勧めします。あなたも本心を隠さずにぜひやってみて。

 

それにしてもdアクセスが欲しいからって、まさか本当に「アクセスが欲しい、ブログ見て。」だなんてあんまりはっきり言える事ではないのではないか。格好悪さ、プライドなどを意識してしまうとどうしたって、ためらいがあるだろう。

 

なかなか自分の要求ってこうも分かりやすく人に伝える事って無いと思う。

例えばお金が欲しくて「お金ちょうだい」なんてまず言わないし。

でも、今回ここで取り挙げた記事は「お金ちょうだい」と言っているのに等しいくらいの表現に感じる。あまりに剥き出しで、明け透け、ストレート。本心丸出しの状態。

 

そんな剥き出しの記事でも、読んでくださる方々がいて、ご丁寧にアクセスを増やすためのアドバイスをしてくださる方も多くいらっしゃる。

 

普通、たまたま見かけた記事にきちんと目を通して、アドバイスなんてしない事の方が多いだろうに。どうしてそこまでして頂けたのか。何がそこまでさせるに至ったのか。気になる所。何でなのか教えてください。

 

アクセス下さいとか、教えて下さいとか自分がもらう事ばっかり考えているんだなあ。もう少し人に与えるとか協力するとか奉仕の精神を持った方が良いんだ。気をつけよう。

2019年3月11日の記事について

2019年3月11日にこんな記事を書きました。

abukunoshikou.hatenablog.com

丸1年このブログを継続しても、見てくれる人がほとんどいない事に耐えられず、

「アクセスが欲しい」とか、「おれのブログ毎日見て」とかそんなことを遠慮なく書いた記事です。

 

なんと、これを書いた翌日1日だけでアクセス数が500にものぼりました。この1年のアクセス数が500でしたからね。それを1日で獲得してしまいました。

 

見ていただいた方、そしてブックマークをしていただいた方、本当にありがとうございました。大変驚いております。

どうしてこんなにもアクセス数が一気に増えたのかはよく分かりません。ブックマーク機能による所が大きいのでしょうか。自分自身でブックマーク機能を使った事が無く、詳しい事は分かりませんでした。ただ、この機能が作用するだけで、果たして1日に500ものアクセスが得られるのか詳細は不明。まさかアクセスが欲しいと書いただけで、本当にたくさん得られるなんて思っても見なかったです。

改めて、たくさんのアクセスありがとうございました。

 

それにしても、このブログはどのようなきっかけで、読んでくれた方々の目に留まることとなったのか。よろしかったらご教授下さい。

 

 

 

こんな記事を書いたあと、1日経って冷静に考えると、なんて恥ずかしい事を書いているんだろうと思うようになった。あまりに明け透けではないかと。

こんなものがいろんな人の目に触れたと考えると恥ずかしい。ものすごく恥ずかしい。

 

自分が書いたものが多くの人の目に触れるというのはとても恥ずかしいことなのだというのが今回の件でよく分かった。多くの読者を抱えているブログ運営者の方々はどのような思いでブログを書いているのだろう。とっても気になる。

 

 

 

 

このブログ誰も見てない!どうしたら良いんだ!

ブログを継続しても、アクセスがない、なかなか見てくれる人がいない、というのが多くのブログ運営者に共通した思い出はないだろうか。

そう、ブログって書き続けてきてもなかなか人の目に触れる事が無くって続けていても徐々にやる気がなくなってきたり、辞めてしまったり。

頑張って続けても何の反応もないというのが結構辛い。頑張っているのだから見てもらいたい、何か反応が欲しいというのが本音と言うもの。

もちろん記事を書く人の腕に結果が左右されるといのは事実。これは、毎日書き続けて上を磨いていくしか無いだろう。

 

タイトルにある通り、「このブログ誰も見てない!どうしたら良いんだ!」って俺の本音です。このブログ誰も見てないんですよ、本当に。記事が480個あって、今までの総アクセス数が、約500ですよ。1年も書いて結果はこんなもん。こんなもんですわ。だんだんと辛くなってくるよね。嫌になってくる事もある。こんなに頑張っているのになんで?って思う事も多い。

 

たくさんアクセス欲しい。毎日欲しい。

みんな見てよ。

おれのブログ見て。

毎日見て。

 

もちろん人に喜ばれる記事を書いてこそ人が見てくれるようになるんだよ。やっぱり役に立ってなんぼだと思うんですよ。人に喜ばれるって。

どんな記事が求められているの。それは書いていく事でしか見えてこないのかな。だれか面白い記事の書き方教えて。ちゃんと学ぶから。

 

良質なコンテンツを作って、このブログを面白いものにしていきたいと思っています。もっと質の高い記事が書けるようになりたい。

 

昨日、今日で何万PVとか収益が何百万円とかそんな事ではなくて、

 

読んだ人に興味深いと感じてもらえるもの、面白みを提供できる様なもの、奥深さのあるものにしたい。記事の内容に厚みのあるものが書けるようになりたい。

 

質の高い発信が出来るようになるにはどうしたら良いのか。誰か教えてください。

 

だってかっこいいもの、熊代亨さんのブログ「シロクマの屑籠」とか高須賀さんのブログ「珈琲をゴクゴク呑むように」とか、ここまで洞察力の優れる、知性のある物が自分でも書けたらどんなに良いか。

 

良い文章が書きたい、内容の濃いものが書きたい。いい文章を書く事が出来るというのはきっと様々な所に生かす事が出来る能力だと思う。文章を書かない仕事なんてほとんどないはず。そんな実用性ばかりではなく、自分で良い情報の発信が出来ればきっと楽しいし、いろんな人と接する事が出来るきっかけになると思う。



 

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とりあえず手を動かせば大丈夫

 前回の記事にも似た様な事を書いたけど、何か文章を書く事を習慣としていても、なかなか書き出せない日というのがある。あるとき急に訪れるのだ。

 

そうなってしまったからには、手を止めて唸っていても仕方がない。というか、それはやらない方が良い。唸ったまま、「書けない、書けない」などと考えていると余計に書けなくなってしまう。どんどん思考が凝り固まっていく。「書けない、書けない」と考えると余計に書けなくなってしまうので、あまり思い詰めない方が良い。

 

まずはじっと考えて唸っていても仕方がないので、何でもいから手を動かしてみよう。すぐに書けなくなってもかまわないから、なんか書いてしまおう。何だってかまわない。手を動かしてさえいれば書けるようになってくる。そう思っていればとても気持ちも楽になる。

 

どうにかこうにか書いていて、ある瞬間に出た言葉がきっかけで、そのあとに自分の中からどんどん言葉が生まれてきてすらすらとに書けるようになるもの。こういう時って、全然何も書けないのではなく、出だしに躓いていただけ。ちょっときっかけを掴めればあとはスイスイと書き進められるようになる。そんなもの。

 

文章が書けないと行き詰まっている時に限らず、手を動かせば大丈夫という事実は本当にそう。今は短い文章しか書けないと言う状態もこれに当てはまって、書き続けていることで徐々に沢山書ける。

 

このブログも最初は、本当にわずかな文字数でしか記事を書いていない。1年くらい前の記事を振り返ってみるとよく分かる。文字数は確かに少ない。

そうであったとしても、こうして手を動かし続けて記事を書いてきたから、最近は1回に約1000文字くらいの記事を書けるようになってきた。でもいきなり1000文字書けというのはかなりきつい。やはり継続する事で書く力が付いてくる。

 

そして継続する事で書き続けていないと落ち着かなくなる。継続して習慣化した事ってやらないと、やっていない事が本当に気になって、気になってしょうがなくなる。やらずにはいられなくなる。生活の一部になるとなかなか辞められなくなってくるので、何の苦労もなく継続できるようになる。書く事に関して言えば、手を動かし続けていれさえいれば良いのだ。

このブログも、継続してちょうど1年。今回で記事の数は481になる。これも書く習慣が身に付いてブログを継続しているからできること。

 

まずはひたすら手を動かしましょうよ。書けばどんどん書けるようになる。そして徐々に書く事が楽しくなってくるよ。キーボードで書いても、手で書いてもそれは同じ。書きまくると楽しいよ。

 

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ダラダラ書く

習慣的にモノを書き続けているても、書けない時は書けない。

書いてはが止まり、また書いては手が止まりを繰り返してしまう。そしてなかなか書けない、書けないと考えてしまう事だってある。それでも良いからとにかくそれを続けてみよう。ちょろちょろとでも書いていると、徐々に勢いが出てきて、手が動くようになってくる。

それを実感できたら、書けなくなっても、「まあ何となくちょろちょろと書いていれば手が動くようになるさ」と言った心構えで居られる。そうなると変に焦ったり、どうしようと思うあまりに、どんどん書けなってくるなんて事もなくなる。

 

書けないと感じたら、ちょっとメモでも良いから、「適当に何か書く」というのがおすすめ。メモのレベルであればそんなに力まず書けるし、ほとんど落書きの感覚いると何かしら書けるはず。「落書き」をチマチマと続けている事で、徐々に思考が出来るようになって、本来書こうと思っていた事にも繋がっていく事だってある。

 

いきなり目的とした事を求めずにちょっと寄り道をしてみる。そんな事で案外書く勢いが付けられる。

思いついた事を適当にでも何でも良いから書いてしまおう。頭の中であれこれと考えを巡らせるだけでなく、とにかく片っ端から書き出してみる。というのも、文章は書く事に寄って書けるようになるからだ。とにかく書き出してみるという行為そのものが、書けるようになることを手助けしているのだ。

 

今どんなに素敵な文章書いている人たちも、きっと苦労しながら文章を書いてきた歴史があるはず。彗星のごとく現れて、一躍有名になる様な方も当然居るけれど、やはりそんな人たちばかりではない。どうにかこうにか書きまくってモノが書けるようになってきたのだ。とにかく書く、書けなくても何か書く、それしかない。

 

最初の方に書いた、「書いては手を止め、書いては手を止め」のように、とにかくダラダラとでも良いから書いていこう。やめてしまうよりもずっと良い。その他にも、時間をかけてじっと考えたって良い、何かしらは書けるはず。なれないうちは書く事って結構難しい。確かに書けない。ちょっとしか書けない。このブログだって書き始めたばかりの頃は、3行くらいしか書いていないと思う。しかもそれに対して、書く量が少ないとか全然思っていなかった。今思うと、全然やり込みが足りない。モノを書けるようになるには、もっともっと、どんどん書きまくっていこう。そしてそのほかに継続ももちろん大事。日々ちょっとでも良いから書くようにして、その上で毎日何かしらは書こう。

 

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絞り出すように書く

何も出ない何も書けない、そう思っても何かしらを頭から絞り出して文字に起こそう。手を止めたままじっと考え込んでいても、何も出てこない事が多いので、何でも良いから書き出してしまおう。

 

書けない時の書き出しは、「書けない」で良いと思う。そうやって手を動かしてみると案外、その続きが出て来るもの。まずは手を動かすこと、それが書けるようになってくるためにはとても大切。

 

書けない時、どうすれば書けるのか。

普段から生活の中で、意識できる、出来ないに関わらず逐次いろんな事を感じているはず。そういったことを上手く言語化できていなくて、書く事がないと感じているのではないか。このほか、自分が感じている事がはっきりと認識できていないという事もありうる。

誰かが行った事、書いた事を聞いたり、読んだりして「そうそう、それだよ!」なんて感じた事は一度くらいあるはず。これなんかがまさに、自分で感じていた事がはっきりと認識できずにいて、上手く言葉になっていない状態であったという事。

 

何かを感じていてもその自覚がなかったり、気が付いていないという事はとても多いのだと思う。そういった事にどんどん気が付けて言葉にできる様になってくると、きっとどんどん書く事が見つかって、書く事がないなんて困る事なんてないのだと思う。

 

それにはやはり自分の内面をきちんと向き合って、いろんな事を言葉にして出していくことが大切なんだと思う。何行か前に書いてある「そうそう、それだよ!」なんて思わせる言葉ってまさに自分の内側にしっかり向き合ったからこそ出てくるもの。

 

多くの人が上手く感じ取れないでいた事をしっかりと感じ取れているから他の人にも「そうそう、それだよ!」って思わせる事が出来るのだ。自分の感じている事に敏感になる。それが書く事がたくさん書く事が出来るようになるための秘訣ではないか。

 

自分の感じている事に敏感になるには、その感じている事を習慣的に言葉にする事。言葉にするという事は、対象に意識を向けて観察する事が必要になる。もちろん意識を向けて観察するのは、自分の内面だ。

 

なかなか文章を書けないうちは、普段自分がどんな事を感じているのかをよく観察しよう。自分の心の動き、変化を見続けて書けることを探してみよう。

 

自分の感じている事、考えている事には存在感の強弱があって、存在に気が付く事と気が付かない事に分かれてしまう。

 

きっと普段から、自分の考えている事、感じている事に意識を向けていると、徐々に存在感の弱いことにも気が付けるようになってくるはず。

 

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手書きすると良いよ

自分の内面を言葉にして表に出すのは楽しい。自分が感じていた事を文字にしてするすると表にだしていく事が何とも言えない充実感となる。ひとりで静かに部屋にこもって続けていると、いつの間にかずっと続けている自分に気が付く。

 

書くとには手書きにしている。パソコンに向かいキーボードを叩くよりも精神的にも肉体的にも力が抜けてとても書きやすいからだ。手で書いた方が言葉が出やすいと感じている。キーボードで書くと、どことなく力んでしまって非常に書きにくい。しょっちゅう手が止まるのだ。

 

一方で手書き。これは本当に手が動く。書きたい事が比較的に滑らかに頭から生み出されてあまり手が止まる様な事が少ない。同じ書くという行為でも手書きと、キーボード入力では何かしら精神的に及ぼす状況が違うのだろう。

 

手書きでは書き進めていくうちに、僅かではあるが頭がぼんやりする様な、頭の働きが落ち着いてくる様な感覚に陥る。そしてそういった状態になると同時に徐々に楽しさが感じられるようになってくる。

 

手書きであれキーボードであれ、手を使う事には変わりがないけど、こんな風に実感できる事は違ってくる。頭の働き方が違ってくるのだろう。

 

書く時は自分なりに、自分の言葉を使って書こう。文章の質や内容の善し悪しは関係なく、自分の出来る範囲で言葉を使って、自分の内面を言葉にする事に意味がある。書き続けていればどんどん書けるようになるので、とにかく書いてみよう。遠慮なくストレートに書くから事楽しくなれる。自分が思っても居ない事、どこかから借りてきた言葉を使った所で何も面白くない。

 

やはり自分の中からわき上がった事を書くから面白いのだ。楽しい事は楽しいと、気に入らない事は気に入らないと素直にそのまま書けば良い。思っているだけでなく言葉にして明確にする事で自分が感じている事がよく分かる。

 

自分を素直に表現できる場所があるのってとても良い事だと思う。紙の上であれば誰にも邪魔されずに自分の思いが出せる。ぜひとも何か書いてみよう。

 

 

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