文章を書くのが苦手
文章を書く事が苦手。そんな人って結構多いみたい。
何を書いてい良いか分からないとか、どうやったら書けるようになるか分からないとか、そんな風に思っている人って結構多いと思う。
こんな風に思っているうちに、いつまでたっても書けないまま時間ばかりが過ぎていくなんて事になってしまう。
そのようであれば、書きましょう。何でも良いから書いてみてはいかがでしょうか。
まずは何か書いてみる事から始める。
最初は書ける事なんて本当に僅かしかない。今まで書いた経験が少ないのないのだから、いきなり書けなくても仕方がない。
自分の頭の中にある物を文章にする作業だけを経験して、その作業になれる事が大切。
内容も文字数の後から付いてくるので、ひたすらに書く事を続ける。
家でやるとさぼってしまいがちなので、思い切って外に出ましょう。そして一人になって自分のためだけの時間を作りましょう。
スタバでもどこでも良いから、ゆっくり落ち着ける時間を作りましょう。これ結構良いですよ。
そうして、好きな事を好きなように文字にしていく。自分の頭の中身を少しずつで良いから表に出して、じっくり自分を知る時間を作る。
そんな風にしていくとじっくりと文章が書ける力がついてくる。
書けるとどんどん書くようになるよ。意識してペンとノートを持ち歩くようになる。必ず鞄に入れて歩くようになる。
書くためだけにスタバに行くようになったりするよ。書く事、自分の内面を表現する事ってやっぱり楽しい。
楽しいと言っても、みんなで大騒ぎする様な楽しさではなく、ジワジワと静かに自分の中からにじみ出てくる様な感覚。
あとは、良い事を書こうとしない事も大切。自分の内面を素直に文字に起こしてみるといい。それは個性になる。
文章が書けるようになるための方法について、ご興味のある方は、
こちらからどうぞ。
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文章を書く練習
文章は、書かないとうまくならない。
とにかく毎日、書く事を習慣づける所から始めよう。ノートとペンがあれば手軽に始められる。内容は何でも良いから、とにかく自分の中から言葉を出す事。手を動かして文章を作る事から始める。
内容は何でも良いいし、質や量は気にしなくてもよい。とにかく書く事に専念する。最初は周りで起こった出来事に対してどう感じるかなどを書く。
だから身の回りにヒントが沢山転がっていると思う。外に出て歩き回っていると様々な物が飛び込んでくるはず。それに対してどう感じたかなど、そんな所から言葉にして出していけば良い。
それから、外を歩き回っているときに、ぼんやりと考え事をするのは誰しも経験があるろうし、これだって一度や二度ではないはず。その時に考えた事も書こう。とにかく自分の考えて事や感じたことを外に出すことが大切。書く事で形になる。そうすれば自分の考えている事が明確になりよく分かる。
今回は書くためのヒントの様な物を紹介いたしました。
書く事についてもう少し詳しく知りたいという方は
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変わるために
なんとかして今の自分の状況を変えようとしても、なかなか変えられない。
どうしよう、どうしようと気持ちばかりが焦ってしまって、何も変われない。
そうなったら、考え込まないで、動いてみよう。自分と同じ考えの人のきっと世の中にいるはず。
ネットを使って検索して答えを探すばかりではなく、だれかにコンタクトしてみる。誰かと会ってみる、意見を聞いてみる。そんなネットの使い方もある。
人からの意見や考え方、どんな事に困っているのか、などの情報を求めている人もいるので、そんな人のためにも、自分の焦りに付いて話してみる。
そんな風にして、人との繋がりから思わぬ解決策が生まれてくるかもしれない。
困っているなら、困っていると言葉にして誰かに伝えてみる。そうすることで始めて相手に認識してもらえると思う。
メールやSNSなどの力で様々な人とコンタクトしやすくなった。せっかくのネットも情報を取り入れるだけの道具にせず、まだ見ぬ人との接点を作る道具としてみるのも良いと思う。
そうやっていろいろな人の役に立ったり、楽しく人が集まる場所が出来たりするときっと自分からどんどん発信したくなると思う。
自分の発信した物が誰かの目に留まり関心を持ってくれたら、自分と共感できる味方が見つかったといううれしさや安心感から自己肯定感も感じられるはず。
自分を変えようと思ったら、動いてみよう。人にあったり、何かを発信したりして行動に移してみよう。
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いつの間にかこんなに書けてる
文章が沢山書けるようになるにはとにかく、書くしかない。
あまりにもつまらない言い方かもしれないけど、文章を書き続ける事でその力がついてくる。
まずは、自分の身の回りの事でかまわないから自分の言葉で文字にして書いてみる。
そうすると、身の回りからヒントを探さなくてもそのうちに自分の中からかける言葉が湧き出てくる。頑張ってひねり出そうとしなくても、言葉の方から勝手に湧き出てくる感覚になる。
内容を良くしようとか、文字数を沢山増やそうとか、その辺りは徐々に付いてくる。
書く習慣が出来れば苦労せずとも毎日書く事が出来るようになる。あとは、書く時間を取る。
時間が空いたらとか、暇な時にとか言っているとずっと書かずにいてしまうので、毎日少しの時間でも良いから書く時間を取る。
自分で意識してその時間を用意する。
慣れてくると、そのうちに
「あ、いつの間にかこんな文字数になるまで書いてる。」
なんて事が起きる。
いつものこの時間はこれくらい書いていたのに、なんか今日はすごい文字数になっている。と感じるのだ。かかっている時間は同じなのに、書いた文字数は今までよりも多くなっている事が実感できるようになる。
それは書く力が付いている証拠。沢山書けるようになると書く事に集中できるようになる。
書いている間の記憶があまりないと言うか、自覚なしに手が動いていつの間にかたくさんの文字数が並んでいる事に気が付く。
いつの間にかこんなに書けてる。そんな風に感じると、もっともっとどんどん書いてみようと思うようになる。
書いている間の感覚をなんとか思い出してみようとすると、本当に淀みなくサラサラと手が動いていて何も目に入らないし、何も聞こえてこない。書く事だけに集中している事がよく分かる。
なんでもいいから、内容が薄くても、文字数が少なくても、とにかく書いてみる。そして書き続けてみる。
そしてこの記事もいつの間にかこんな文字数になってしまった。今日は結構多い方だと思う。
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いつものパターンを破る
休日の過ごし方、日常での行動に置いて、そこまでバリエーションはないはず。大まかな流れがあって、だいたいはそれに従って生活しているはず。
そうすると、身の回りで起きる事、目に入ってくるものはほとんど変わらないと思う。だから、その大まかな流れにすこしいつもと違う事を足してみる。
真っ直ぐ帰っていたのなら、寄り道をしてみるとか、普段と折らない道を通ってみるとか。そうすれば身の回りで起きる事、見えてくるものも変わってくる。
こんな所にこんな物があるんだとか、面白そうな物を見つけたとか、体験できる事は様々。
このまま真っ直ぐ帰らないで、一度ここに寄ろう。と言ったように意図的に今までのパターンを破る。
今までの習慣があるから、自然にこんな風になるのは難しいかもしれないので意識して、時にはちょっと嫌だなと思う事もあるかもしれない。
だぶん、それは今までのパターンが崩れてしまうから嫌なんだろうね。いつもと違うから、安心が出来ない、今まで通りの方が楽だからそっちを選んでしまう。
でもそれで変化が起きなくて辛いのであれば、今までの違う事、あんまりやりたくない事でも選んでいかないと何も変わらないと思う。
自分の好きなようになってもうまくいかないなら、やりたくない方を選ぶとか、嫌な事をするとか、そういった事うまくいく方法はないと思う。
変わらないというのは、居心地が良いやら、辛いやらよく分からない物だね。
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自分の人生にして生きていこう
みんながやっているからやる。世間ではこうだからやった。
そんな風に自分の人生を人の基準で生きていると、どうしたって苦しい。
いつまでたっても、自分に合わない。
自分がやりたいようにやってみた方が良いと思う。そうすればうまくいかない事でも自分で選んだ事だから受け入れやすい。
人の基準で生きると、あまりうまく行かないし、そうすると結構不本意な思いが残ってしまう。
どうにかして自分のやりたいようにやってみよう。自分を周囲にとけ込ませるだけが生活ではない。
どうも学校でそんな風に強制されてきたせいでこの考え方に基づいて生きている人が多いのだと思う。
生き方はそんなに選択肢が狭いわけではない。きっといろいろあると思う。
強い力で何かを強制されているようであればそれはきっと明らかにおかしいことだと思う。誰かに取って都合がいいから、もしくは自由にされると誰かの不利益になるから強い力を使ってでも何かを強制したいのだ。
利用されているのに、それに気付かれないようにと大人しく言う事を聞く人がほめられるのだ。支配される事を美徳のようにして多くの人を洗脳しているのだ。
お金の話をせず、黙って働き、文句を言わない。一見、聖人君子のようだが、ただ利用しやすい人でしかない。
我々は、都合良く、安く、操られる仕組みの中を生きているのだ。とっても取り扱いやすい国民だろう。
もしかしたら、何処かの国に植民地支配されても、何一つ文句も言わずに大人しく働き、搾取され続けていくかもしれない。
支配され続けている事にも気付かずに、命令に従う事がが無上の喜びであるかのように洗脳されて。
休まずに働きなさいと言われても、飛行機に乗って的の軍艦に体当たりしなさいと言われても従うのではないだろうか。
忍び寄る自己嫌悪
自己嫌悪を感じたら、一度その状態から離れよう。
「あ、また自己嫌悪が出てきたな」と思って冷静にその状態を観察する事が大切。
こう考えるだけで少しだけ落ち着いた気持ちになる。どっぷりと自己嫌悪につかる事なくいられる。
でもこの冷静に観察するって難しい。いつの間にかどっぷりと浸かってしまっていて、しかもそれに気が付かない事のしばしば。
気が付かないうちに自己嫌悪に飲み込まれてれてしまっていて、どんよりと嫌な気持ちになっているなんてことも。
決して、「いかんいかん。こんな風に飲み込まれてはダメだ」なんて思わないこと。これだってどっぷりと自己嫌悪に飲み込まれてしまっている状態だから。
とにかく冷静に「あ、まただ。」ぐらいに思っているのがちょうどいい。
そうはいってもこれが結構難しい。いつの間にか自己嫌悪が忍び寄ってくるので、気が付いた時に「あ、これだ」と思うようにしていくしかない。
すぐに出来るわけではないかもしれないが、気が付いたらやってみる所から始めて見てはいかが。
もっとしっかりと観察すると、自己嫌悪が出てくるパターンが見つかるかもしれない。「こんな時に出てくるんだな」とか、「このタイミングで出てくるんだな」とかいったように、パターンが見つかれば回避しやすいかもしれない。
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