自分の感情の動きを知る。

うんざりしたり、嫌な気持ちになったり、そういった自分の感情って自覚しやすい。人の嫌な所が目につきやすいように、自分の感情もやはり、嫌なものの方が感じ取りやすい。

 

でも、決して嫌な感情だけが自分の中に存在している訳じゃなくて、良い感情もきちんとある。少しだけ機嫌が良かったり、何かをやっていて楽しいと感じていたりするなどは誰にでもあるはず。嫌な感情のように、はっきりと自覚しにくいだけ。

 

感情をストレートに感じ取るだけでなく、一歩離れて眺めてみよう。自分が今どんな感情を感じているのかを冷静に自覚してみよう。

 

これやってみると分かるんだけど、結構感情って波がある。機嫌が良くなったり、悪くなったりって細かい周期で繰り返している。この波が本当に細かくて、数分おきなんて事もある。

 

これが分かってくると、今まで自分が悪い感情にだけ意識を向けていた事も分かってくる。機嫌がいい、楽しいと言う感情も確かに感じている。それなのに、そこには目を向けず、機嫌の良くない自分にだけ目が向いていると自覚が出来る様になる。

 

たしかに機嫌のいい自分はいる。その事を自覚しよう。

機嫌の良くない自分にだけ目を向けているという状態は、そこだけを選び取って、「ほら、機嫌が悪くなる。やっぱり嫌な事ばかりが起きるんだ。」と言っている様なもの。

他には一切目を向けずに機嫌の悪い自分ばかりを見ているのだ。

 

まずは、普段の自分をトータルで眺めてみる事にしよう。良いも、悪いも、すべて自分。全体的に満遍なく自分を見ることで自分への印象も変わってくると思う。

何もしたくない、何も出来ないの裏側

何もしたくない、何も出来ないという思いの裏側で起きている事。

それは、傷付きたくない、失敗したくないという思いに支配されて動けなくなってしまっている事ではないか。

 

傷つくくらいなら、失敗するくらいなら何もせずにじっとしていよう。何かすると嫌な思いをするかもしれないから、そうならないためにはじっとしているしか無い。

などこんなおもいを抱いてはいないだろうか。

 

そして自分のなかに、傷つかず失敗もせずじっとしているととっても楽で快適だという思いを無意識に持ってしまっているはず。

 

これは本当にとても楽なのだ。身の回りで何も起きないし、自分の感情が乱される事も全くないし、つねに一定の感情で居られるのだ。

 

自分に何一つ影響を及ぼすものがない。これが当たり前の生活になるとなかなか脱出できない。この楽はとっても厄介なもの。

 

正直、おれがまさに今そんな状態まっただ中。

 

会社で誰とも離さないし、独身一人暮らし、休日も一人、しかも全く寂しくない。そして感情の変化もほとんどない。

 

しかもこの刺激の無い状態を全く変えるつもりがないまま何年も経っているのだ。最近少しずつではあるがこのままではまずいよなあと思い始めてきた。

 

何の刺激も無いまま、それを快適に感じて甘んじている。さすがにこれではいけないと思うようになってきた。こうやって文字に起こすとだんだん危機感が湧いてきた。

 

傷つくとか、失敗を恐れるあまり、身も心も殻にこもっていると言った所。しかし、いつまでも一人で外界との接触を避けていてはまずいと感じるようになったのだ。

 

少しずつでもいいから殻をやぶって外の世界を関わろう。

退屈なのは・・・・

なんかつまらない、退屈だ。そう感じていながらもどうして良いか分からない。これと言った趣味も無く、何となくの生活で日々を過ごしてしまっていませんか。

 

俺もそうだよ。

なんかつまらないんだよね。正直、する事が無くて苦しい。休日は「することがない・・・」とか独り言を言っているし。

 

でも思ったんだよね。本当に退屈で苦しかったらさっさと何かを見つけてやっている。どうにかして退屈から生まれる苦しさを解消しようとするはずだって。

 

どこかに出掛けたり、家でも、何か趣味になりそうな事をやってみたり、何かしら楽しくしようと工夫するはずだって思う。

 

でもそれをやっていないなら、別に退屈でもそんなに困っていないんじゃないか。退屈でもそれはそれで別に良いと思っていないか。

 

正直な所そんなに出掛けたくないし、そこまで何かをやろうという意思も湧いてこない。退屈に甘んじていられるというのが本音だ。それは受け止められる。退屈でもOKなんだよおれ。きっとそうなんだ。

退屈でも良い。それは認められる。

 

でもそんな自分をダメだと思わない方が良いいだろう。自分を責めても辛いだけだし。自分はこういう人間なんだときちんと認めるべきだと思う。これが本来の自分なんだから。

 

退屈でもいい。する事が無くても良い。何もしなくても良い。どんな自分にもOKを出して自分を肯定しよう。

 

「これではダメだ、趣味ぐらい持ってなくちゃ。」とかいって無理に趣味を持っても、本来の自分を無視しているし、そうやって始めた事ってあまり楽しめないと思う。

 

本来の自分を認めて、それに従って生活してみる。そんな風に自分なりに気持ちよく過ごしている事で、案外、自分の生活が変わるきっかけが見つかったりして。

好きな事、気になることを書く

好きな事、気になる事を書く。

「面白い。」「そうなんだ。」「こう思う。」とか何でもいいから自分の中で、ちょっとでも心を動かされた事を書いてみよう。

 

何度も続けていくと、だいたい自分がどんな事に関心があるか、どんな事を気にしながら生活しているかが分かってくる。「あ、これ、また書いてる」なんて言う風に書く事で気付きが得られる。

 

自分が関心がある事を遠慮することなく書き出してみよう。頭の中に湧いた事でもいいからまずは一旦、頭の中身を表に出す。いろいろな事を考えているだろうけど、いくつかの事はたびたび頭の中にわき上がっては消えを繰り返していると思う。

 

必ずあるよ、自分が定期的に考える事って。意識してみると、その事をこれまでに何度も何度も考えた覚えがあるはず。きっとその事がよほど気になっているのだろう。

 

なぜ何度も考えるのかは分からなくても良い。一見どうでも良さそうな事だと思っていても、自分の頭の中にたびたび登場する事がある。書いていくことで、自分がとても意外な事を気にしていると分かってくるのだ。それが面白い。

 

これをものすごく気にしている。なんでだろう。なんて思う事が出来るようになる。

 

とにかく好きな事を沢山書いてみよう。人間、関心のある範囲なんてそんなに多くはないみたいだ。書く事で自分の関心のある範囲がある程度分かってくる。

 

自分の事でも、一度表に出してみると、気が付かなかったり自覚していない事が多いと分かる。

 

ガンガン書いて自分の事をよく知ってみよう。

思い込み、執着

うまく出来ない、うまく話せない、など自分の不得意としていること(だと思っていること)はとてもはっきりと自覚しやすい。反対に自分の得意な事って当たり前のように出来ることだから、案外、得意な事だって気付かない事が多い。

 

この、上手くできない、上手くいかないって自分が思っている事って、実は上手く出来なかった、上手くいかなかった時の事だけをしっかりと鮮明に覚えてていて、その事だけを気にしている可能性もある。それが、自分にはできないと思い込むようになる原因になる事も。

 

嫌な思いをした事にだけ意識を集中させてしまっていて、その事が自分の頭の中を支配してしまっているのではないか。その事にこだわりを持ってしまって手放せない状態ともいえる。

 

上手くいかない、上手く出来ないと、その思いから、自己嫌悪や自己否定に走ってしまうのもここにポイントがあると思う。

 

日常生活で出来ている事、上手くいっていることがあっても意識はそこにいかずに、「上手くいかない、上手く出来ない」にいってまっている。そしてその点にばかり執着して一人でずっと考えているのではないか。これが自己嫌悪、自己否定に長い時間捕われてしまっている状態であろう。

 

良くない状態だけを日常生活の場面から選び取って、その上で苦しんでしまっているのだ。自分からその状態を選んでしまっている。

 

ほんの一時、自分の良くない点を自覚することは誰でもある。それだけならまだしも、長い時間、または複数回に亘って自己嫌悪、自己否定が続くようであれば、それはきっと執着をしている状態なんだと思う。

 

執着と言うと言葉が良くないかもしれないけど、言い換えれば没頭する力が強いともいえる。良くない所に没頭してしまっているのだ。

 

何かいい所をみつけてそこに没頭してみよう。

嫌な事に執着している

自己嫌悪、自己否定を続けてしまう。なんとかして自分の頭からこの2つを取り去ってしまいたいけど、出来ない。こんな葛藤がある人も多いと思う。

 

不思議なもので、自己嫌悪、自己否定する時って、自分では辛い辛いと思っていても、その「自己否定、自己嫌悪の原因となる自分の良くない所」をずっと離さずに抱え続けているような状態にある。

 

ものすごく大事にしていて、自分に取って必要なものなら分かるけど、自分を苦しめている原因ともなるものをなぜか宝物のようにしっかりと抱えてしまっているのだ。そしてそこばかりに意識を集中させてしまっている。

 

どうして辛いと思いながらその辛い原因に意識を集中させてしまうのだろう。そこに意識を向けず、他の所に意識を向けたら何か都合が悪いのか。困る事でもあるのか。

 

何かメリットがあって嫌なものに意識を向けているのか。

 

自己嫌悪、自己否定って自分が一人でしている事であって、決して他の誰かが、外から自分に対して危害を加えようとか嫌な気持ちにさせようとして、手を加えてきて起こる事ではない。自分の中だけで起きている事なのだ。

 

一人、自分で自分を苦しめてしまっている。

 

数ある自分の身の回りの出来事の中から、特定の出来事に注目してしまって自己嫌悪、自己否定を引き起こしているのだ。

 

こういう場合は、やっぱり認めるっていうのがいいんだと思う。

 

自分はこんなものだなあ。

また自己否定しているなあ。

 

と、そのまま眺めているだけで良い。

 

自己否定しても決して、「いかんいかんダメだ。」とか思わないで、単純に「自己否定しているなあ」とそのまま眺めれば良いのだ。