偏差値なんてこんなもん。

 これが現実みたい。

私はかつて、偏差値導入を主導した政治家から話を聞いたことがある。 ベトナム反戦・第2次反安保、学園民主化などで大学闘争が 活発化して東大安田講堂事件(1968~69年)が起きた後、 私が「日本はこのままいくと若い人たちが不満を募らせて、 クーデターを起こすのではないか」と懸念を示したところ、 その政治家は「大前さん、その心配はないですよ。国にも、 アメリカにも逆らわない従順な国民をつくるために『偏差値』 を導入したのですから」と答えたのである。 私は偏差値がそれほど重要な意味を持っているとは 思っていなかったので非常に驚いたが、 偏差値はそういう目的で導入された「システム」にほかならないのだ。 偏差値によって、たしかに事前に効率よく 学生を割り振って受験させることが可能になった。 だが、学校側の工夫次第で、偏差値に関係なく 才能ある学生を選ぶことは可能だ。 実際、世界のほとんどの国には偏差値などなく、 学生は自由に学校を選んで受験している。 結局、日本で導入された偏差値は自分の 「分際」「分限」「身のほど」 をわきまえさせるためのもの、 つまり 「あなたの能力は全体から見るとこの程度なんですよ」 という指標なのである。 そして政府の狙い通り、偏差値によって自分のレベルを 上から規定された若者たち(1950年代以降に生まれた人)の多くは、 おのずと自分の〝限界〟を意識して、それ以上のアンビションや 気概を持たなくなってしまったのではないか、と考えざるを得ないのである。

大前研一 『稼ぐ力』より

偏差値導入の意図とは? - 世界は逆説で出来ている。