過去の記事を振り返って分かったこと

1年前に書いた記事を読み直してみた。

当時の、書いた時の心境は思い出せないけど、記事の内容に対しては、似た様な事はぼんやりと今でも考えているなあと感じる。

 

読んでみて思うのは、今こうして1年経って客観的に自分の記事を見てみると、内容、印象が薄い。かつてのご指摘のように、どこに興味を持ったら良いか掴み所が無い。

 

良い文章って、読んでいて引き込まれる。どんどん読んでしまう。今回読み直した記事って、読んでいてもなんだか空気の様で存在感を感じにくい。明らかに良い文章とは言えない。

 

もっといろんな方の文章を読んで、自分との違い、どこに興味を引かれるかなどを自分なりに探してみよう。現時点では、何かが違うとしか言いようが無い。

 

難解な文章ではないけど、読み終わってすぐに記憶から消えていってしまうような何も残らない内容だ。

 

いろんな所から学んで自分なりに良い所を取り入れよう。

 

1年前の記事 ↓

abukunoshikou.hatenablog.com

 

本を読もう。

たくさん本を読みましょう。

自分でブログを書き、様々な人のブログを読んでみてそう思った。

 

非常に質の高い文章か書いている人たちって、ものすごくたくさん本を読んでいるみたい。そんな事がわかってきた。いくつかのブログに目を通してみると「たくさん本を読んだ」という趣旨の記述を良く見かける。

 

このほかにも、過去に結構な苦労をしてきている人も、ものすごくたくさん本を読んで後々に成功を収めている。そんな話をいくつか聞いた。

 

やはり、知識の習得ってとっても大事。もっと言うと勉強ってとっても大事。最近、痛いほどに感じ取った。今からでもいろんな本を読んで、自分なりに少しずつ学んでいこう。

 

今日、明日で変わる事も無いけど、毎日続けよう。「積ん読(つんどく)」なんて言う言葉も生まれたけど積んでおかないで読みましょう。おれも積ん読をやめて少しずつよんでいこう。

 

つい最近、「学問のすすめ」を読んだ。もちろん現代語訳だけど。ものすごく難しいのではないかと思ったけど、全然そんな事は無かったし。これは学問についても書いてあるけどどちらかと言うと、自己啓発、ビジネス書籍に近いと思う。内容も十分に今の時代に通じるものがある。

 

 

もちろん、良い記事を書こうと思ったら、自分で手を動かして文章を書くという行為が大事だけど、インプットもとっても大事。インプットあってのアウトプットなんだと思う。

 

ひたすらアウトプットだけだと、そのうち出せるものが無くなって涸れてくるのではないか。だから、適度に外から取り入れる必要があると思う。出し入れのバランスがとれていることが望ましいはず。

 

どんどん読んで、どんどん書こう。まだまだ、やり込みが足りていないのは事実。後は継続も大切。

感情ってすぐかわる

前にもこんな事書いたけど、改めて。

abukunoshikou.hatenablog.com

 

自分が今感じている感情って、決してずっと持ち続ける訳ではない。今、嫌だなあとかうんざりするなあと感じていても、それはそのうち消える。

 

時間が経てば、いつの間にか別の事を感じていて、違った感情を感じるようになっているはず。自分が自覚していなくても全然違う事を感じるようになってしまう。

 

かなり意識していないと同じ感情を持ち続ける事は出来ない。しかしそこまでして嫌な感情を持ち続ける必要も無いので、感情がどんどん移り変わってしまっても問題は無いだろう。

 

自分が今何を考え、感じているかを観察してみよう。

「今、〜って感じているなあ。」「今は機嫌が良くないなあ」と言ったように大間かでかまわないからやってみることをお勧めする。

 

やってみるとよく分かるんだけど、本当に自分の考えている事、感じている事などの内面で起きている事って、移り変わっていく。湧き上がっては消えを絶えず繰り返して止まる事は無い。放っておけばみるみる変わっていく。

 

だから、「まあどうせそのうち変わるよ、感情なんて」と言ったように構えていれば良いのだと思う。更に、たとえ嫌な感情を感じていても、あまりそこに集中せず「嫌な感情を感じているなあ」ぐらいに思って一歩離れて自分を見ると、ちょっと冷静になれる。

 

本当に感情の観察はおすすめいつの間にか考え事をしていたり、機嫌が良くなったり悪くなったりするのがよく分かる。本当に忙しく変わっていくのがよく分かる。ぜひやってみて。

 

周囲の目を気にしすぎていた学生時代

この前書いたこの記事に関して付け足し。

abukunoshikou.hatenablog.com

 

記事の中にある通り、中学、高校時代自分は、

・誰とも喋らない。

・いつも一人で居る。

・ものすごく暗い

・休み時間は机に突っ伏して寝ている。

自意識が強すぎる。 - あぶくの思考

 

と言った状態だった。 詳細は記事参照だけど、まあ、多くの時間を一人で過ごしてしまったんですよ。過去にそんな同級生いませんでしたか。 

 

周りの目を気にしただけでなく、会話にも付いていけず周囲にとけ込めなかった。楽しそうな話題も、自分にとっては何だか面白くなかった。みんな何で楽しそうに話していられるのかも分からなかった。

 

その当時は周りから浮いていたであろう自分はやはり辛かった。「自分だって本当は周囲の人と楽しくやりたい。分かり合える仲間とバカ話も出来たらいいな。」なんて事も考える事だってあった。 学校には通っていたけど、当然こんな状態ではあんまり行く気にはならない。

 

でも、こうして大人になって当時を振り返ってみると、「あれはあれで、まあ良いんじゃないの」と思えるようになった。同じ出来事でも、当時と今では捉え方も変わってくる。過去への解釈も時間とともに違ったものへと変化するのだ。良き思い出ではないけど、そんなに凄惨な過去という訳でもない。

 

何だか懐かしくなるくらいだ。もちろん、ひどいいじめも受けていないし、悪い先生にもあたっていない。その点で恵まれていたからこそかもしれないけど。

 

 

もし、今こんな感じの方がこれを読んでいたら参考にしてほしいんだけど、

 

周囲と合わないと感じているんでしょ?じゃあそれで良いじゃないの。それは間違いなく本音。自分の内面からわき上がってくる素直な気持ち。

 

だからまずはその本心を肯定する事。みんなと仲良く出来なくても良い。とりあえず迷惑さえかけなけれ大丈夫。

 

合わないもんは合わねぇ。しゃーない、しゃーない。 自分だけ、こんな事に。なんて思ってしまったのであればそんな事は無いといいたい。

 

世の中に、一定数います。かつてこのような状態だった方って。それでもちゃんと世の中に出て働けます。何とかなります。どうにかなります。

 

出典元を忘れましたが、こんな言葉を過去に聞きました。

今は、目の前の世界が自分の人生のすべての様ですが、その周りにはびっくりするくらいいろんな世界が広がっています。

今は、目の前には、自分と上手く馴染めない人たちばかりですが、その周りにはもっと多くの、あなたのファンになり得る人がいます。

 

 

自意識が強すぎる。

ブログのアクセスが欲しいって記事を書いたら、こんなご意見がありました。

 

このブログ誰も見てない!どうしたら良いんだ! - あぶくの思考

自意識が強すぎて他人が共感できる箇所が少ないのが問題でしょうか。とはいえ僕も始めの頃はそんな感じだったので、最初は自意識を吐き出し続ける事も大切かもしれません。少しづつ、外向きの文章も書けば変わるかも

2019/03/15 11:34

b.hatena.ne.jp

 

ご指摘の通りでございます。その通り。

「自意識が強すぎる。」

 「他人が共感できる部分が少ない。」

 

言われて始めて気が付いた。確かにそう、自意識強すぎた。今後の教訓とします。この記事に限った事ではなく、これまでの自分を振り返ってみてもそう。確かに今思うと自意識が強くなりすぎている事が多かったと感じる。あまりにも強かった。人からの視線を気にして身動きがとれなくなっていたりする事もしょっちゅうだった。(そこまで他人は自分の事を見ていないのに)

 

この、自意識が強すぎる。という部分に関して、思い出した事を少し。

 

 

みなさんの中に、過去に学校でこんな同級生はいませんでしたか。

 

・誰とも喋らない。

・いつも一人で居る。

・ものすごく暗い

・休み時間は机に突っ伏して寝ている。

 

特に中学校、高校時代に多いかな、と思います。

まあ、昔のおれなんですけどね

 

すべてとは言いませんが、こういう状態の時って結構、自意識が強くて身動きが取れなくなっているんじゃないかと思うんですよ。人の視線をものすごく気にしていて全く動けなくなっているのではないかと。 

 

当時の自分を振り返ると周囲の評価ばかり気にしていた。(しかもとっても強く。)

誰かに適当に話しかければ良いものを、本人の中では、

「入学以来ずっと一人で、誰とも喋らずにいたのに、突然誰かと喋ったら変だと思われる。」とか、「うわっ、あいつ、なんか喋ってる。」とか思われたら嫌だ。

 

なんてことを考えてますよ。面倒くさいよね。

 

周囲からしたら、「お前なんか、そんなに知らねーよ。」って話なんだけどそこまで軽く考えることは出来ない。もう、自分のことばっかりで客観的に自分を見ることができなくなっている。

 

似た様な状態にある、もしくはそうであった方もおそらくは周囲の目が気になってしまって、身動きが取れなくなった、という事はないでしょうか。

 

書く時に人が読むことを意識する。

これまで書いてきたブログの記事は、もう本当に自分が自分の満足のためだけに書いてきたと思う。読む人の事なんか全く考えてこなかった。自分が思った事を好きなように書いているだけ。読み手の事なんか全く意識してこなかった。勝手と言えばその通り。人に読んでほしかったら、何かしら共感があったり、役に立ったり、面白かったりといった部分が必要になるだろう。

 

各方面からのご指摘があって、始めてこのような事を意識できるようになった。「自分の事ばっかり書いている」とはっきりとしたご意見もあって大変参考になる。自分の事って案外自分でよく分かっていない。やっぱり指摘って大事。

 

 

自分で書いたものを読んでもらいたかったら、人が読みたいと思う様なものを書く。しかし自分で好き勝手書いているだけではなかなかこうはいかない。

。沢山書けばどれか一つくらいは面白がってくれたり、共感もあるだろうが、それは闇雲にやった結果のラッキーパンチにすぎない。

 

難しい。 人が読みたいものってどんなもなのか。それから共感される事ってどんなことか。

 

例えば、普段何となく自分だけでなく他の人も感じているであろう事を、明確に、きちんと言葉に出来れば共感を生むかもしれない。言葉にならない思いを、言葉にしていく。簡単ではないな。書き続けていく事でその能力を高めていこう。

 

 

 

 

芸能人の不祥事について

芸能人の不祥事の報道について。

時々報道される芸能人の不祥事について違和感をもつ。一部の報道の仕方に。

 

逮捕されるほどの事をやってしまったのにも関わらず、「エンターテイメントのニュース」とか、「エンタメコーナー」みたいなくくり方での報道はどうかと思う。

不祥事や、逮捕に至った話題がエンターテイメント関連の情報と一緒くたとは。何だか変だ。 「エンターテイメント」などと言ってはいるがおそらく芸能関係と言いたいのだろう。

 

この違和感を最初に持ったのは芸能人の訃報を知ったとき。やはり「エンターテイメント」という枠組みでの報道だった。この時は、はっきりと言葉になるほどの違和感を持つことはなく、なんとなくぼんやりとした思いだった。徐々にこの違和感の正体が、「死」の取り扱いにはどうしても合わない報道をしている、という思いであること分かった。こういった事は、単にニュースとして扱えば良い。変なカテゴリーに入れる必要は無いと思う。

 

それから、芸能人の逮捕に関しては、芸名だけではなく、実名で、本名で報道しよう。そのほうがより深刻に伝わるし、現実味が増す。見ている方の受け止め方も変わる。この方がぐっと重く世間に伝わるのではないか。

 

 

 

もし逮捕後に「お勤め」を終えて社会復帰し、人前に立って芸能人として活動を再開するのなら、犯した罪について洗いざらいみんな話した方が面白い。

 

逮捕されるとこうなるよとか、刑務所の中ってこんな感じだよとか。それから、変な薬をやるとこんな感覚だよとか、お金がこのくらいかかるよとか。あとは、そういった悪い事に関わる事で、こんなに儲ける人がいるんだよとかいった話をするとみんな聞くと思う。案外興味持つ人も多いんじゃないかな。この手の話って。