とりあえずの1文字

文章の書き出しに困っても深く悩み込まずに、最初に1文字だけ書こうとしてみて。

 

書き始めに困っても、本当に小さく始めると思いのほか取り組みやすくなるし、さらに進み出しやすくもなる。

 

いきなり長く書き出そうとしなくても良いのだ。そうやって小さく始めて進み出す事で徐々に加速が付いてどんどん続けられるようになる。

 

前にも書いたけど ↓  

abukunoshikou.hatenablog.com

 

文章を書く際は、一度少しでも何か書き出すとそれに引きずられるようにして言葉が出てくる。まずは頭の中の事を文字に起こして自分の中から表に出す事に専念してみる。

 

後は書く習慣を付けて毎日少しでも書く。そうする事で書く事に慣れ、書けるようになる文字数も増えてくる。そのうち、書かないと落ち着かなくなってくる。

 

そうなってしまえば、毎日何かしらの事が書けるようになってくる。書く習慣が付いてしまえばブログを毎日更新できるし、その結果、徐々に記事数も増えてきて、自分の書いた文章が蓄積されていく。

 

そんな風に蓄積されていった自分の記事を見ていく事で自分のやった事が積み重なっていったという事が客観的に分かる。それが自分に対する自身にもなる。

 

ブログの場合だと、自分が書いた文章を見ず知らずの誰かが読んでくれたりすることで、どんな記事に興味が持たれているのかが分かるようになる。

 

自分でいいと思った記事には対して反応が無かったり、あまり力を入れずに書いたものに意外な反応があったりするので書き続けていく事でいろんな事が分かってくる。

 

ブログを書いてみて継続する事でしか得られないものがあるというのがよくわかる。

何とか普通の生活は出来ているけど

何だかつまらない。退屈。

今は決して辛い目に遭っているとか、とても苦しい生活をしているとかいう訳ではないけど、何となく辛い。どうにかしたい。

 

そう感じていませんか。

 

そしてこの状態を何とかしたい、変えたいとも思っているはず。変えましょう、変えましょう。では、ここ最近の自分の状態を振り返ったり、今日の自分の行動を観察してみてください。

 

 

さあどうぞ。

 

 

 

あなたが感じているつまらない、退屈といったものを解消しようと何か行動を起こしましたか? もしや、何も・・・・

 

おそらく何も行動をしてないかもしれない。きっと何もしないまま辛い、退屈を真正面からがっちりと受け止めて、背中に背負ったまま生活していませんか。

 

部屋に閉じこもってじっとしていても。そりゃー退屈だしつらいよ。一旦それは止めよう。まずは部屋を出る。ここから。時間に多少の余裕がある時だけで良いから。

 

辛いとか、退屈とかって意識し出すとどんどん頭の中に膨らんで大きくなってしまう。じっとしているだけではそこから抜け出す事は出来ないので、その意識を他に向ける。

 

そうする事で頭の中にあった、辛い、退屈なんてモノはあっさりと消えていく事が実感できると思う。

 

一人悶々とこの辛さ、退屈をどうにかしなければ、どうしたら良いんだ。一体何がしたんだなんてどんどん考えてしまうと苦しいだけ。そんな時に何か読んだり、自分で書いたりしてもやっぱり変わらない。

 

思い切って自分から動くしかない。何でも良いから自分から何かに近づいていって試してみるしか無い。

人生を変えたいとか、生活を変えたいとか

人生を変えたいとか生活を変えたいとか思っている方も多いはず。

 

本当に変えたいですか。大きくガラッと変えたいですか。今までと違う事をする必要がありますよ。慣れない事をする必要がありますよ。

 

なんて言われるとちょっとためらいますよね。そうだと思います。やっぱり本当に生活、人生を変えるなんて言う事に取り組む事になったら、今までとは違う行動、やるべき事が必要になってくる。

 

そして本当に人生を変えたいとか、生活を変えたいと思っているのか。変えたいのは人生や生活なのか。

 

実は、この、「人生を変えたい、生活を変えたい」って言葉は、こう言っている人たちの本心を明確に言い表していないのではないかと思っている。もっと違う言葉で表現する事が出来るのだけれどちょっとしたズレがあるのではないか。

 

確かに今の生活の中に自分にとって都合が良くない事があるけど、人生とか生活とかそこまで大きな事ではないと考えられる。

 

おそらく今の生活に退屈しているのではないか。仕事もある生活は何とかなっている、食べていく事は出来ている。でもそれだけでは物足りない。

 

何だかつまらない、辛い、退屈。これをどうにかしたいと言った所か。おそらくそんな感じではないか。

 

退屈、つまらないどうしようと感じてたものに対して、これをどうにかしたい、解消したいと思うのは当然の事。でもあまりにどうしようとそればかり考えていると、生活が上手くいっていないとか、このままではいけないとかそんな風に考え出してしまう。

 

そうなってくると、生き方、生活をどうにかしなくてはと考えるようになってくる。

まずはあまり深刻にならず、何か試しにやってみるとか、そんな事から始めるのはどうか。どんな事をしている時に、つまらないとか、退屈などと考える事が無くなるのか自分の気持ちの動きを眺めてみるのも良い。 

感情なんてすぐ変わる

自分の抱いている感情ってすぐに変わる。

 

面倒くせぇとか、やりたくないとか、こんな自分じゃだめだとか思ってどんよりと落ち込んでいてもしばらくすると全然別の事を考えていたり、感じている。

 

これは自分で自分の感じている感情を眺めてみるとよく分かる。結構な頻度で、自分の頭の中を占めていることが移り変わっていく様子が見て取れる。これを知るためには、今、自分は何を感じているだろうって自分の感情、心境に目を向ける事で分かる。

 

実際に自分の感情を眺めるという事をやってみると本当によく分かる。もっとこうしなきゃとか、なにか楽しい事は無いかとか考えていたのにしばらくすると、頭の中にあることが大きくガラッと変わってしまうなんてこともしばしば。

 

さっきまでの考え事がどこかへ行ってしまい、どうしようもなくくだらない事を考えてちょっと一人で笑っていたりする事だってある。頭の中というのは常に目まぐるしく変化しているのだ。これが自覚できればとても大きな進歩になる思う。

 

自己嫌悪、自己否定などを感じていて、それを重荷に感じているのならば一度自分の考えている事感じている事を眺めてみよう。

 

目まぐるしく様々な事が自分の頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。その中で、自己嫌悪、自己否定の原因となるものにだけ注目してしまっているからこそ、それが重荷になってしまっているという事が分かってくると思う。

 

常に自己否定、自己嫌悪だけを感じているだけではないはず。他にも考えている事、感じている事がきっとあるはず。

自分の今を眺めてみる事で、いろいろな事を考えたり感じたりする自分が居る、そして自分にはいろいろな面があるという事に気がつく事が出来る。

適当に書き出してみると良い。

よし、文章を書くぞ。と、意気込んで始めてみても、なかなか書き始めることが出来ずに手が止まってしまうなんてことは経験があるかもしれない。

反対に、そんなに意気込まず軽い気持ちで書き始めたことからすらすらと手が動いて書き続ける事が出来てしまうと言った事が起きたりもする。

 

不思議なもので、頑張ろうとしても上手くいかなかったり、そんなに頑張ろうとして無いのに上手くいったりしてしまう。

 

自分の内面、考えを知ろうとして文字に起こしてみる時にも、やはりこれが当てはまる。知ろう、知ろうとしてもなかなか自分の内面を書き出せ無くて、適当に手を動かした時に限って意外な本音がかけて自分の理解に繋がる。

 

本当に気軽に落書きでもするかの様に手を動かしていた方が本音が出やすい。何の意味も無い事を好きなように書いた方が書いていて楽しいし、続ける事が出来る。

 

子供が絵を書くように自由に何にも捕われずに書いてみて。ストレートに自分の気持ちをぶつけるのは精神的にとてもいい事のはず。何かを溜め込んだままにしているのは絶対に良くない。

 

好きなように自分の気持ちを発散できる場を持つ事はとても大切な事。だから、短い時間でもいいからどこかしらでそれができるようにしておこう。

 

書くことは一人で自由にできる。このくらいの自由はだれでも持っていると思うので、機会を見つけて自分の内面を言葉にして出してみよう。

 

頭の中にとどめておいては理解できない事でも一旦表に出す事でとても明確になって理解もしやすい。

 

好きなように、勝手気ままに何でもいいから書いてみよう。繰り返す事でどんどん書けるようになってくる。

自分の思考に気付く

天気のいい日には、外に出て適当に歩いてみて。20分ぐらいでいいから歩き回ってみよう。その間に、頭の中では何かしらの考え事をしているはず。歩いている間にいろんな事が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していることが実感できるはず。

 

そうやって自分の頭の中に出てきたことって、きっと自分にとって何かしら意味があると思う。自分が無意識の中で気になっていることであったり、必要としている事であったりなど。

 

自分の感覚に合うものであるからこそ頭の中に残るのだ。全く必要のない、全然関心のない事であったらそんな風に頭の中に出てくる事は無いと思う。頭に残っている事であるなら、きっと自分が興味を抱いている事好きな事に関係があるはず。

 

自分を知る上でそれらの事に注目してみるもの一つの手段。自分の頭の中からどんな事がわき上がってくるか、歩き回って確かめてみるものいい。ただ、考え事をして歩くというのは周囲に対して注意が散漫になるのお気をつけながらやってみて。

 

意外な事が自分の頭の中から出てくるかもしれない。

 

歩くというのは、結構思考に作用する。漫画家の楳図かずおさんは漫画のネタに困ると近所の公園を散歩するみたい。そうやって歩きながら考え事をすることでアイディアが閃くとのこと。歩くという行為によって思考が促されるようだ。

 

自分の思いをじっと座って書き綴っていくだけでなく、体を動かしてみる事でこれまでとは違った事が分かるという可能性もある。積極的に自分の思考について関心を示していこう。

 

自覚していなかったけど、これまでに何度もぼんやりと考えていた事があると気が付いたりなどふとした事からアイディアが見つかったり。発見があるかもしれない。

書いて楽しくなろう。

自分が、何をしている時が楽しくて、どんな生活が理想でとか、とにかく好きなように好きなだけ書こう。そうやって書いているうちに、書いている行為だけでも楽しく感じられるのでやってみて。

 

今楽しいと感じる事が無いとしたら、どんな生活がしてみたいとかこんな事が出来たら、あったら楽しいなとか考えてみるのもあり。そうやって考えること自体も楽しい。

 

楽しくなってしまえばこっちのものだ。やはり楽しさがあった方が生活にはメリハリが出る。楽しくなったら、もっと大きな楽しさを得ようと、もっとこうしてみようとか、ああしてみようとか考えるようになる。楽しさは行動するためのものすごく強力な原動力になるのだと思う。

 

書くと楽しいと言っても、べつにワイワイ大勢で騒ぐ様な楽しさではなく、静かにじっと一人で飲めり込む様な、ジワジワと少しずつ感じる事が出来る楽しさ。強烈に感じるのではなく、とっても薄味。でもその薄味を感じるためになぜかついつい書いてしまうし、繰り返しやってしまう。 

 

何度も書くことを続けていていて、気が付いたら、「あ、また書いている。」なんて感じるるようになる。嫌だったらそんな風に継続は出来ないので、やはり楽しさがそうさせているのだ。

 

求めている事が達成できていない状況にも関わらず、もう既にこの時点で楽しくなってしまっている。

 

何かを手に入れようとする時、苦しみながら求めているているものに近づくよりは、楽しさを感じながら近づこうとした方が行動しやすいはず。書いて楽しくなるなど小さな楽しさを積み重ねてみよう。嫌な思いだけして生活するよりはずっといいはずだと思う。